モネの庭や薔薇(バラ)の小道はどこ!?晩年の作品の値段はいくら?

芸能

こんばんは!ふくふくです。

 

絵画といえば、写実的でリアルな絵ばかりのイメージですが、それを覆す印象的な作品「印象、日の出」という絵画作品を描いたモネという画家をご存知でしょうか?

 

当時、写真機が出来たことから、絵画でリアリズムを追求しても写真機には勝てないという風潮があったのですが、モネの作品「印象、日の出」によって、絵画の進む方向性がひとつ示されたのです。

 

モネの作品「印象、日の出」は、光の変化の一瞬をとらえた作品です。瞬間をとらえる技法だとどうしても、今までの明確な精密画とは異なってくるので、人によっては、こんなの芸術ではないと、モネの作品が批判されたりしました。

 

しかし、光の一瞬をうまくとらえて、印象的な日の出のシーンを描いたモネは、今ではモネ展が世界で開催されるほど有名になりました。

 

そんなモネですが、とにかく、庭が好きで、モネ自身が描きたい風景を作るために、庭を手入れして、モチーフとして庭を描きまくってます。また、モネといえば、庭に植えられた睡蓮が有名ですが、他にも薔薇(バラ)の小道が有名です。

 

ここで気になるのが、モネの作った庭や薔薇(バラ)の小道は一体、どこにあるのか?

 

そして、晩年のモネの作品は、庭の睡蓮や薔薇(バラ)の小道をたくさん描いているのですが、とにかく凄まじいモネの思いというか、本物の作品を見るとわかるのですが、圧倒される何かがあるんですよね。

 

そんな圧倒されるモネの晩年の作品の値段は、一体、いくらなのか?も気になるところです。

 

ということで、今回は、モネの、「庭や薔薇(バラ)の小道はどこにあるのか?」、「晩年の作品はいくらなのか?」について調査していきます!!

モネのプロフィール

名前:クロード・モネ(Claude Monet)

生年月日:1840年11月14日

没日:1926年12月5日

享年:86歳

国籍:フランス

 

モネは、食品雑貨商を営む家の次男としてパリに生まれました。5歳のころからは、ル・アーヴルに引っ越して、少年時代の大半を過ごすのですが、当時から絵が上手くて、カリカチュアを売ることで一財産を築くほどの腕前でした。

 

ちなみに、カリカチュアとは、人物の性格や特徴を際立たせるために誇張や歪曲を施した人物画のことです。モネは、1枚20フラン程度で売っていたようで、当時のレートで1フラン1万円くらいなので、中々の値段でした。

 

モネは、18歳になると風景画家として有名なブータンと知り合い、外に出て絵画を一緒に描くようになります。このとき、モネは、外の光りを感じながら、一瞬一瞬で移り変わる風景を見て、光の移り変わりに心が奪われていきます。

 

そして、翌年の19歳でモネは修行のためパリに出て、ピサロと知り合います。その後、21歳で兵役につくのですが、病気で送り返されます。

 

モネ23歳では、パリで月謝が安くて有名だったグレール画塾で、ルノワール、シスレー、バジールといった、後の印象派として有名になる画家たちで知り合います。お互いに切磋琢磨して、一緒に外で作品を制作したり、お互いをモデルにしあったりもしました。

 

モネ27歳の時には、モデルで恋人だったカミーユとの子供である長男ジャンを出産。30歳のときに、カミーユと正式に結婚します。

 

そして、モネ34歳で、第1回印象派展を開催。主な参加者は、モネ、ルノワール、シスレー、ピサロ、ドガ、モリゾ、セザンヌでした。このときのモネの作品が「印象、日の出」となります。この作品は、未完の落書きじゃないかと、批判が殺到しました。

 

モネ38歳で次男ミシェルが誕生しましたが、翌年の39歳で妻カミーユが死去。印象派への風当たりは強く、絵は評価されず、生活は困窮を極めていました。家賃は払えず、引っ越しを何度か繰り返し、ジヴェルニーに引っ越します

 

そんなとき、印象派の画家たちと懇意にしていた画商デュラン=リュエルがヨーロッパではなく、アメリカに作品を持ち込み印象派展を開催しました。

 

すると、これが大ヒットし、その後、パリでも印象派の展覧会は大成功をおさめ、モネの「積み藁」シリーズは、1枚3000から4000フランの高値で売却されました。1フラン1万円とすると、凄い金額です。。。このときモネは51歳でした。

 

翌年、モネ52歳でアリス・オシュデと再婚。アリスは、モネの最初期からのパトロンの妻でした。

しかし、モネの晩年は、中々凄まじい状況でした。

 

モネ71歳でアリスが死去。72歳で白内障と診断され、74歳で長男ジャンを病気で失い、79歳で仲間の最後の生き残りのルノワールまで失い、絶望の淵にたたされるモネ。

 

そんなときに、白内障の手術を勧めたのが、首相も務めたクレマンソー。きつい手術を乗り越えて、再度視力を手に入れたモネは「睡蓮」シリーズなどに全エネルギーを注ぎ込みました。

 

この「睡蓮」シリーズはオランジュリー美術館に収められており、ふくふくも実物を見ましたが、圧倒される癒し空間でした。冗談抜きで、言葉がなくなります。。。本物はマジでヤバいです!

 

そして、モネは、86歳で自宅のジヴェルニーでなくなりました。モネの棺には最初、黒い布がかけられていたのですが、駆け付けたクレマンソーが「モネに黒はダメだ!」といって、窓にかかっていた花柄のカーテンをひきちぎりモネの棺にかけたという話は割と有名です。

モネの庭や薔薇(バラ)の小道はどこ!?

モネの庭ですが、これはジヴェルニーにあります。ジヴェルニーは、フランスの北部のあたりで、ノルマンディー地域圏、ウール県にあります。

 

モネは、ジヴェルニーで「花の庭」を最初は作っていたが、のちに隣の土地も買って、「水の庭」という日本風の太鼓橋を作り、池には睡蓮を設けた。この睡蓮は、モネの代名詞的存在である。

 

また、薔薇(バラ)の小道は、モネのジヴェルニーの邸宅前に造られた薔薇(バラ)のアーチがある道のことです。この薔薇(バラ)の小道を通ると、水の庭に架かる太鼓橋へとつながります

モネの晩年の作品の値段はいくら?

モネの晩年の作品の値段はいくらだったのか?

 

参考までに、モネ55歳の時の作品「ルーアン大聖堂」は、1枚1万2000フランという話があります。これは、1億2000万円です。。。高い!

 

そして、モネの晩年の作品である睡蓮シリーズの一つ「Le Bassin aux Nympheas」が2008年にロンドンのクリスティーズで約86億円で落札されています。この作品は、モネ79歳のときの、つまり晩年の作品になります。

 

やはり、モネの晩年の作品の値段は凄まじい額になりますね。。。

まとめ

モネについて、「庭や薔薇(バラ)の小道はどこにあるのか?」、「晩年の作品はいくらなのか?」について調査しましたが、

 

「庭は、フランスのジヴェルニーにあり、薔薇(バラ)の小道は庭へと続く道である」とわかり、

「晩年の作品は約86億円」とわかりました。

 

というわけで、モネは、印象派の中心画家であり、現在も印象派展が開催されれば、必ず1枚以上は作品が展示されていると思います。

 

なお、モネを見たいという人におすすめなのが、今年、世界有数の印象派コレクションを誇る、コートールド美術館のコレクション東京都美術館で2019年9月10日~12月15日の間に展示されます。これは、もう観に行くしかありませんね!!

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